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外資系のトップセールスマンを経て、大好きだった宝石の会社を立ち上げる。


幼少の頃から直感力が鋭く、宝石を通して様々な神秘的な体験をし、宝石を装飾品から必需品にしたいという思いから"人と宝石との間に立つ"役割を日々研鑽しています。


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古代文化の華『勾玉』

2009年3月 5日 12:15 | トラックバック(0)

縄文中期から後期にかけて原初的な農耕が始まりました。これは縄文時代の精神性を考えるには注目すべき事です。農耕の開始によって、自然や超自然への理解が広がり、呪術は飛躍的に進化しました。

人口は増大し、弥生時代の日本列島の推定総人口は約65万人(北海道を除く)。富の蓄積が始まり、集落にはそれまでの呪術的な階級に重複して、社会的な身分差が生じてきました。富や田畑をめぐって、集団内部や集団間での争いが激しくなり、集落は村に、村は地域単位の統一を経て、クニとなり、クニには支配者(王)が誕生していきました。

この時代の戦争は、ヒトばかりでなく霊や神の次元でも戦争が行なわれる事を意味していました。勝ち戦とは、勝者が信仰する神々が敗者の神々を打ち負かす事に他なりません。戦いがあるごとに、あるいは協定が結ばれるごとに、神話は複雑さを増していったのです。

こうした時代背景のもと、あの不思議な形をした宝玉「勾玉」が登場します。縄文時代の後期には、ヒスイの大珠の製作数が減り、取って代わる様にヒスイの勾玉の数が増えてきます。弥生・古墳時代の遺跡から出土するヒスイの勾玉は、西は九州、東は秋田とほぼ日本全国に及びます。

ヒスイ以外に碧玉、水晶、メノウ、ガラス製の勾玉も出土しています。勾玉を加工する技術は金属器と共に西からもたらされたと考えられています。胎児の形に似たこの宝石は、エジプトの小形勾玉の例を除けば、世界に類を見ない日本列島のオリジナルです。それは私たちの心の奥深くで息づく、原日本人の精神性を象徴する形と言えます。

外国の文献に勾玉が初めて登場するのは、かの有名な邪馬台国に関する記述の中での事です。卑弥呼の後を継いだ壱与は、中国の魏へ使者を遣わし、「白珠(真珠)5千孔、青大勾珠(ヒスイ製勾玉)2枚、その他」を贈ったとされています。これは西暦248年の事です。時代が少し下ると、ヒスイ勾玉文化圏は朝鮮半島をも包み込む様になります。

日本全国の弥生遺跡からのヒスイ勾玉の出土、壱与の贈物、朝鮮半島での出土は、考古学的な事実だけから見ても、ヒスイに象徴される「緑色の呪術」は、そのパワーの強力さゆえに日本列島を席巻し、隣国をも感化させていた事を物語っています。勾玉は単なる装飾品ではなく、ヒスイは偶然選ばれたわけではありませんでした。

天界に属する超物質を胎児の形に刻む事で、往古の人々はそこにパワーに満ちた祖霊、神霊の宿りを信じ、その力を我が物とする事を乞い願いました。勾玉は竹管状の管玉と共に紐に連ねてネックレスにしたり、腕や髪飾りにつかわれたほか、榊(さかき)に飾り付けて神降ろしの儀式に使われていた事が、ハニワや神話からうかがい知る事が出来ます。

「古事記」を読んでみると、「天の安河のウケヒ神話」では、スサノヲに高天原を奪われるのではないかと心配したアマテラスは、完全武装した上に全身が埋もれる程の勾玉を付けて登場しています。そして互いの霊(心根)を受け合う呪術的交感を行なう事で、アマテラスの勾玉からはこの国の祖となる神が化生します。

「天岩戸神話」では、岩戸に篭ったアマテラスを呼び戻す為に、鏡とたくさんの勾玉を飾り付けた榊が用意されています。

「玉の(タマ)は霊魂の(タマ)に通ずる。霊魂は普通目に見えない気体のものであると判断されていて、自由自在に行動しうるものと理解されていたので、その形状は丸い球体のものと考えていたらしい、だから玉を身につけるという呪術は、より多くの霊魂を身につけて、常人以上の霊威の力を持っている人間である事のシンボルに他ならず、また玉を身につける事によって、多くの霊力を身におびているという信仰から、自分を霊的存在態と判断させる為の行為であった」とされています。

「物実」としての宝珠信仰について、「日本書記」に登場するクシダマニギハヤヒノ命にまつわる興味深い神話があります。彼は宝玉十種を持っていて、中でも4個の玉は生玉(いきだま)、死反玉(しがえしたま)、足玉、道反玉と呼ばれていました。これらの玉を「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、ここの、とう」と言って、「ふるえ、ゆらゆらとふるえ」と唱えるなら、死者をも生き返らせる事が出来たという。

玉はヒトと霊的次元を結ぶに欠かせない呪術の道具でした。勾玉に霊を降ろす方法や勾玉に宿った霊の素性を読み取る呪術、ゆらゆらと玉を振る事で霊(たま)振る、つまりは霊的にヒトをパワーアップさせる神秘的なマインド技術が在った事をこれらの神話は暗示しています。当時のヒトは宝珠なしでは超自然的なパワーを得られない。ヒトがヒトとして生きられないと考えていたのでしょう。

そしてこうした呪術、こうした玉への感性こそ、後に大和朝廷が中央集権化を推し進める過程で抹殺せねばならない事柄となりました。勾玉は葬り去られ、以後明治に至るまでこの国からネックレスが消えてしまいます。ヒスイの勾玉から碧玉製勾玉への推移は、呪術の中心が越から出雲へ移った事を示していて、クニツカミたちの神話と一致します。出雲が政治、呪術の中心であったからこそ、国中の神々は年に1度、出雲に集わなければならなかったのです。

勾玉を用いる呪術は、おそらく北九州を中継点に後の大和朝廷によっても取り込まれました。天皇家に伝わる三種の神器に「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」が数えられている事が、何よりもこの事を雄弁に物語っています。

しかも、他の神器「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は熱田神宮に、「八咫鏡(やたのかがみ)」は伊勢神宮に祭られているのに対して、勾玉のみは代々天皇の近くにおかれてきました。

「天皇崩(くず)スルトキハ皇嗣即(こうしただ)チニ踐祚(せんそ)シ祖宗(そそう)ノ神器ヲ承(たまわ)ク」

と明治憲法下の皇室典範では規定されていました。三種の神器は皇位継承の品だったのです。天皇が天照大神の直系子孫として神に等しいパワーを駆使するには、三種の神器のバックアップが不可欠である事を意味しています。

神話では、三種の神器が天孫降臨神話に登場しています。葦原中国(あしはらなかつこく)を統治するため高天原を出立するニニギノ命に、天照大神はこれらを彼が大神の直系子孫である印として渡します。

歴史学的には三種の神器がいつ頃定められたものであるのか定説はありませんが、日本伝統的呪具として、「玉」は「鏡」や「剣」よりも歴史が古いとされています。「八尺瓊勾玉」が3~4世紀頃から天皇家に伝わっていると考えるなら、それは大きくて美しいヒスイの宝珠でしょう。

出雲大社の宝物殿で八尺瓊勾玉もかくやと思える程に見事なヒスイの勾玉を見る事が出来ます。1665年大社関連の命主(いのちぬし)神社境内の大石の下から、銅戈(どうか)と共に発見された品です。この2つは西と東の呪具、呪術が出雲に集っていた事を明示しますが、その素晴らしい勾玉は出雲のクニの王位継承の品であったとの思いを抱かせます。出雲のクニが滅びた日、神官たちはいずれの日にかの復興を願ってこれを隠した。ついそんな気になってしまいます。

神話では、国譲りを終えたオオクニヌシは「身に瑞(みず)の八尺瓊(やさかに)を披いて長く隠れる」とされています。彼はその勾玉を持って異界の支配者に転じたのです。国滅びて朝廷に恭順した出雲では、朝廷の為だけの勾玉が作られる様になります。天皇の前で「神賀詞(かみよごと)」という呪力によって、朝廷をパワーアップする祝詞(のりと)を奏上し、数十個の勾玉を献上するのが習わしとなっていました。6世紀の大和朝廷にとって、出雲のクニは征服したと言えども、潜在する勢力と呪術の強大さは恐れるに足るものだったのです。

勾玉なくして霊の依り代なく、人は祖霊、神霊と結ばれる事もありませんでした。さらに天と地が人に味方する事もなかったのです。勾玉は真の実在、霊的世界と人を結ぶよすがでした。それは超人的パワーに恵まれ、霊的に選ばれた男女のみが手にする事を許される、宝の中の宝であったはずです。

クニと言っても人口も領土も少なかった時代の祭り事(政治)はこれで十分でした。しかし、いくつものクニを併合して国家が誕生すると、政治はこれではやっていけません。統治の為の法律が必要となり、法律に背きかねない神託は否定されます。大和朝廷はこれを実現する為に唐を手本にしました。藤原鎌足の子、藤原不比等が大掛かりな宗教改革を成し遂げた張本人です。彼はそれまでのシャーマニズム的要素を削ぎ落とし、中央集権向きの宗教に作り替えました。

勾玉は古い神道のシンボルでした。強い呪力を持ち、朝廷の方針に逆らう神託を降ろす可能性を秘めた古い神道は、邪魔な存在であるどころか危険この上ない存在でした。朝廷は勾玉の追放を謀りました。勾玉は朝廷のみが直に神と繋がれる証となり、朝廷の専有物にされました。勾玉は国家にとって実にやっかいな呪具であったからこそ、朝廷の奥深くに隠されたのです。

それから千数百年の時を経て勾玉は現代社会に蘇り、静かなブームになっています。古代のパワーが復活する先駆けの様に思えます。

結局のところ、超古代の母系制文化はどこもかしこもタントリックだったのだと気付く事にもなりました。宝石が富や権威の象徴となったのは、ゼウスがあちこちの女神や女性を抱いた後の話ですし、キリスト教によって確立された男社会はもうすぐ崩壊するでしょう。何が何でもダイヤモンドを飾りまくればいいと思い込んでいるおばさん趣味の宝石ブームは、それと共に潰える事でしょう。

価格に拘らずに美しい物と共にいるのは気持ちがいいと、その様に男性も女性もこぞって宝石を愛する事が出来る文化がすでに始まっています。この本はそうした文化のちょっとした先駆けです。

 

以上を宝石伝説(著:北出幸男)から抜粋しました。

勾玉についてこれほどしっかりとした角度から思いを寄せて見つめていらっしゃる事に感心しました。勾玉が古代から現代に、装いを新たにし蘇ってくる事を楽しみにしたいと考えています!!

 

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