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外資系のトップセールスマンを経て、大好きだった宝石の会社を立ち上げる。


幼少の頃から直感力が鋭く、宝石を通して様々な神秘的な体験をし、宝石を装飾品から必需品にしたいという思いから"人と宝石との間に立つ"役割を日々研鑽しています。


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『グレース・ケリーと宝石』

2010年10月12日 08:26 | トラックバック(0)

宝石と人の関わりで色々な方のお話があります。近年では、ダイアナ妃のサファイアネックレスも有名ですし、ハロッズの御曹司から贈られたダイヤの婚約指輪も脚光を浴びました。これまでに多くの人達が、宝石とその方との物語を作っています。

今までとは少し嗜好を変えて、今回はあのケリーバックを「ケリーバック」たらしめた、グレース・ケリーと宝石のお話をしましょう。

グレース・ケリーはハリウッドの女優でした。スターを目指して18歳の時に、フィラデルフィアからニューヨークに出てきて、26歳でモナコの王妃になったのです。まさにシンデレラそのものです。

モナコは、面積が日本の皇居の2倍に満たない国です。この国は観光とカジノの収入で賄われ、税金を納める必要もありません。ヨーロッパでは有数の歴史を持つ名家である、グリマルディ家のレーニエ3世国王と、スターであるグレース・ケリーのお話です。

「ダイヤルMを廻せ」、「裏窓」、「泥棒成金」等、ヒッチコック映画に主演する、ハリウッドきっての人気女優のグレース・ケリー。カンヌ国際映画祭でアカデミー賞をもらったばかりのグレースを、モナコのレーニエ大公に会わせるという企画に、グレースはすぐにOKを出しました。モナコ大公国を統治するハンサムな独身大公である事は、噂で知っていたからです。

モナコ王宮に到着し、彼に王宮や庭園を案内されてまわりました。それはわずか2時間でした。その2時間は他の人の事など忘れてしまい、2人だけの世界に入り込んでしまったかの様だったと、それを見ていた方が伝えています。

その年の12月5日、レーニエ大公はニューヨークに到着し、クリスマス・イヴの夜、ケリー家に招待されました。そして、大晦日のパーティーの席で、ついにレーニエ大公は正式にプロポーズしたのでした。レーニエ大公から贈られた婚約指輪は、エメラルドカットのダイヤモンドでした。「普通のダイヤモンドはまるで冷たい氷の様に見えるのに、このダイヤには色がある。」、と見た人が言ったほどの見事な品でした。

さらにレーニエ大公からグレースへのウェディングギフトは、ダイヤと真珠で作られた、ネックレス・ブレスレット・イヤリングのセットです。これらの制作を頼まれたのが、かのヴァン・クリーフ&アーペルです。その後、モナコ王室御用達となったのが、ヴァン・クリーフです。レーニエ大公はグレースに、他人から贈られた宝石類は、一切モナコには持って来ないで欲しいと頼んでいたと言われています。

レーニエとグレースの結婚のおかげで、アメリカからの観光客が急激に増え、モナコの経済は目に見えて好転しました。1959年の観光収入は、5年前の2倍に膨れ上がりました。モナコに滞在する観光客は年間100万人にのぼり、長期滞在する客も増えました。彼らがカジノやホテルで莫大な金を落とすため、モナコは昔の様にヨーロッパNo.1のゴージャスなリゾートとして復活しました。

1982年に、不運にも交通事故のため53歳で命を落とすまで、26年間の王妃生活の間、グレースは愛するモナコ公国のために、様々な業績をあげました。王子を産んで危機に瀕していたモナコの独立を確保し、さらにモナコを世界一豪奢なリゾートに変身させ、小さな無名の公国をきらりと輝く宝石の様に、世界の人々にとって忘れられない存在にまでしてしまったのです。

グレース王妃自身は亡くなっても、20世紀のシンデレラ・ストーリーを地でいった彼女の思い出は、今も少しも色褪せてはいません。あのダイヤモンド(婚約指輪)の様に優美で清楚な姿は、私達の中で今も輝いています。

(『華麗なる宝石物語』 著:桐生 操 より抜粋)

 

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