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外資系のトップセールスマンを経て、大好きだった宝石の会社を立ち上げる。


幼少の頃から直感力が鋭く、宝石を通して様々な神秘的な体験をし、宝石を装飾品から必需品にしたいという思いから"人と宝石との間に立つ"役割を日々研鑽しています。


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『ジャクリーン・ケネディと宝石』

2010年11月15日 09:12 | トラックバック(0)

今回も、もう1人のシンデレラを紹介しましょう。

1994年4月23日、ニューヨークのサザビーズ社で行なわれたオークションに出品された、故ジャクリーン・ケネディ元アメリカ大統領夫人(1994年死去)の遺品、40カラットのダイヤモンドが260万ドル(約2億6700万円)で競り落とされました。このダイヤモンドは、ジャクリーン夫人が再婚相手のギリシャの海運王、故オナシス氏からプロポーズされた夜に贈られた物です。

また、彼女が故ケネディ大統領からプレゼントされた指輪には、41万5000ドルという値段がつきました。これはごくありふれたダイヤだったのですが、アメリカ国民の間には今もケネディ神話が生きているのだと実感させられます。

1929年、株式投資家の父と、ニューヨーク中央銀行の頭取の娘である母との間に生まれたジャクリーンが、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディと1953年にニューポートの教会で結ばれました。

しかしそれから8年後の1961年、一国の大統領とその妻として、かつて2人が愛を誓った大司教に再び祈りを捧げる事になったのです。名門ケネディ家の御曹司との結婚、さらに夫の大統領就任で、それこそ世の女性が望みうるすべてのものを手に入れました。しかし幸福に酔う間もなく、不幸は突然彼女の身に襲い掛かったのです。

1963年11月22日、アメリカ南部のダラスの町に、声高く響いた「オー!ノー!!」の叫び。

アメリカ大統領がダラスのパレード中に銃弾に倒れた時の、ジャクリーン夫人の叫び声です。31歳の若さで世界のトップレディになったジャクリーンは、34歳の若さで、世界の悲劇のヒロインになったのです。偉大な夫の死を悼みながら、遺児2人を立派に育てる母として・・・。

しかし、そのジャクリーンは1968年、ギリシャの海運王で大富豪のオナシスと再婚してしまいました。オナシスはパリやニューヨークで、高価な宝石を買っては彼女にプレゼントしました。ジャクリーンが彼のプロポーズを承諾するまで1年間に、オナシスはネックレス18個、ブレスレット23個、ブローチ17個、指輪20個、そして腕時計7個を贈ったと言われています。

確かに彼は世界有数の大金持ちでしたが、家柄も教養もない成り上がりだと、世間の非難を一身に浴びた新妻を、オナシスはさらに多くの宝石を贈ってなぐさめました。結婚から3年間で、彼は300万ドルを超える宝石を妻に贈っています。当時の日本円で10億円以上の巨額です。なかでもプロポーズの時に買い与えた、40カラットのダイヤの指輪は伝説的です。ジャクリーンの死後、サザビーズのオークションで、260万ドルの高値で競り落とされたのがこのダイヤです。

1975年3月15日、内臓を弱らせてパリの病院に入院していたオナシスは、あっけなくこの世を去りました。その時、ジャクリーンはニューヨークにいて、彼を看取ったのは娘のクリスティナだけでした。

オナシスの死後発表された遺言は、およそジャクリーンへの愛が感じられるものではありませんでした。総額10億ドルと囁かれる遺産のうち、ジャクリーンに残されたのはわずか1000万ドル。あとの大半が娘のクリスティナに贈られる事になっていました。ジャクリーンはクリスティナを相手に、1年半の法廷闘争を繰り広げ、その結果、オナシス一家との一切の関係を絶つという条件で、2000万ドル(約54億円)の追加遺産を受け取る事で合意したのです。

それにしても、世界一有名な大統領と世界的な大金持ち、2人の第一級の男性と結ばれながら、その陰に隠れる事なく、常に強烈な個性を発揮し続けたジャクリーンという女性。彼女が求め続けたものは何だったのでしょうか?

しかし、多くの宝石に囲まれながら、彼女自身も輝き続けた事は確かです!

(『華麗なる宝石物語』 著:桐生 操 より抜粋)

 

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